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Vol.111 〜 Vol.120
Vol.111 『かまち』
●山田かまちの伝記映画だと思って観たんですが、かまちはあまり関係ありません。戦後50年
を過ぎて、日本人の頭ん中、ゆっくり溶けてきてますよぉ、という映画でした。かまちさんは
(ま、この際)私より2歳年上でして、同じ世代と言っていいでしょう。その意味では、当時
の目線で斟酌しても、この人、ちょっとイタいです。私と同じ中学に通っていたら間違いなく、
友人と昼に弁当喰いながら「山田先輩、キツいよなあ」「ドラマチック・ノイローゼ?」とか
会話してましたね。いや、ま、それこそがアーティストとしての資質だとも言えるのでしょう。
この人、存命だったならば、劇作家として名を成したような気もします。さて、映画の大半は、
かまち没後四半世紀ほども経った、地元の中学生事情を描くことに費やされています。トリッ
クスターとして登場するのが、高校をイジメで中退したまま、引きこもり人生に突入した青年。
彼は自殺サイトのようなものを主催していたんですが、オフ会を呼びかけながらシレッとブッ
ち。それをBBSで非難されると今度は、薬剤師をやっている父親(医者の息子に生まれ、後継
を目されながらも失敗したらしく、その負い目から、自分の中に確固とした男性像を作り上げ
ることができず、我が子に対しても軟弱な父親でいることに甘んじていると思われる)の店か
ら“この世から解放される秘薬”を盗むことができなかったからだと言い訳します。汚い大人
に邪魔されたって、いつまで子供やってるつもりだ、ママにパンツ洗ってもらうつもりだお前
はと、苦笑いを禁じえません。たちまち書き込まれるメッセージの山。「それ、ただのハルシ
オンだろ」「初歩じゃん」「渋谷に行けば、もっと凄いのあるよ」。くくく。いくら聖戦士を
気取っても、世間から見れば単なる田舎者でしかありません。で、その情報に発奮した中坊が
単身、「俺が調達したる!」と意気込んで渋谷に乗り込みますが、到着して10分も経たないう
ちに、地元暴力団凖構成員舎弟見習いクラスの若い衆に軽くボコられカツアゲされてしまうの
でした。「時計だけは勘弁して下さい」って頼んでも、東京は容赦しねえんだよ。何をやって
も地方の人間は、東京モンの足下にも及ばないという教訓です。魔都ですよ、やっぱり。勝負
かけるのなら、若いうちに目指しといた方がいいでしょう。夢の数だけ地獄も待っているので
しょうが。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集/)
Vol.112 『エレファント』
●コロンバイン高校の銃撃事件を、完全再現というわけでもなさそうだが、映画化した内容で
す。アメリカの高校は体育会系(“ジョックス”と呼称するそうです)を頂点に置いた階層社
会で、個々の集団に属せない「冴えない」「トロい」「何だか良く判らない」者はしぶとく笑
いものにされて拒絶されるらしい(だってあなた、卒業式のパーティーに彼氏彼女を同伴でき
なかっただけで、「一生」負け人間呼ばわりされるんですよ!)。そこへ持ってきて、鉄砲が
通販で買えちゃったりするわけですから、ンナもん、キレたら何が起こるか、火を見るより明
らかですわな。というわけで「ジョックス死すべし」を合言葉に、苛められモン二人が完全武
装で昼休みの学内に乗り込んでいきます。生徒の一人がすれ違いざま、「戻らないほうがいい
ぜ。スゲエことが始まるから」と言い捨てられる瞬間が、とんでもなく不気味です。しかし最
も私がショックを受けたのは、連中に最初に殺される生徒が誰であったかということでした。
場所は図書館で、本の整理をしていた女生徒なんですが、これがとてもティーンには見えない
老け顔の女の子で、ちょっと勘の鈍いところもあって友達のいない、苛められ組の子なんです
ね。ところが「ジョックス憎し」のはずの男の子は、ゴキブリを殺すときでももう少し人間ら
しい表情を見せるもんじゃないかと思えるぐらいの無表情さで彼女をアッサリ射殺してしまう。
「お前は敵じゃない。行け」などというドラマチックな反応は一切期待できない。苛められ者
同士の連帯なぞ、虫のいいたわ言でしかないというわけですね。社会が悪いとか教師が無理解
とか苛めっ子に責任があるとか、そんな理屈は越えてます。首謀者に復讐したいんじゃなくて、
気分は人類皆殺し。一緒に襲撃したダチまで殺すのは、ちょっと作り込み過ぎだと思いますが、
それくらいにアメリカの苛めは日本のそれとはケタが違うんだろうな、と思わせてくれる映画
でした。10代でああいう洗礼を受けた人間が国民やってる国だもの、そりゃアメリカはすげえ
わ。
(上田貴士/後厄/編集)
Vol.113 『卒業の朝』
●ケヴィン・クラインは東部進学校の歴史教師。専門は古代ローマ史です。その博識と良識と
授業を進める技術で、新入生の学力をグングン向上させておりましたところに、一人の転校生
がやって来ました。これが、デビュー時のディカプリオの二番煎じみたいな少年で、上院議員
である父親譲りの二枚舌で教師を愚弄し、クラスメートに悪影響を及ぼしていきます。ある日、
クライン先生が「ローマ帝国の歴代皇帝を述べよ」という質問をしました。ミニ・ディカプリ
オは、いちびった回答で自分の不勉強を有耶無耶にします。そして、ここが見どころなんです
が、少年の対応を面白がって笑っていたクラスメート達は、しかしクライン先生の号令一下、
ニコニコと何の苦もなく歴代皇帝の名を暗唱してみせるのでした。この構図はクライマックス
でも、より残酷な形で効果的に提示されます。つまり、真の知力を備えた人間は、口先三寸の
インチキ野郎に同調はしても同化はしない、根本的に人としての格が違うのだということです。
例えイカサマ師が調子のいいお題目で政治の場を支配しようとしても、正しく教育された市民
がいれば、民主主義はきっと守られるのだと諭しているわけですね。と同時に、騙すならバカ
を狙え。かしこ一人騙すのに手間かける暇があれば、バカを100万人は騙せるぜ、という鉄則
も示しているわけです。ミニ・ディカプリオは父親の票田を継いで上院議員に立候補するそう
です。当然その先に狙うのは大統領の椅子でしょう。なにやら、ホラー映画の余韻みたいなも
のを残して、映画は終わるのでした。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.114 『タイムリミット』
●田舎警察の署長であるデンゼル・ワシントンは、自分の女が癌にかかっていると知り、署で
押収した麻薬組織の資金を治療費に渡してしまいました。ところが、女が放火殺人を偽装して
トンズラこいてしまったため、真っ青に。別居中の女房率いる本署の捜査チームと何も知らな
い自分の部下たちを出し抜いて、自分と女を結ぶ証拠を隠滅しようと涙ぐましい努力を続ける
端から、今度はDEAから押収金回収の連絡が入ってきて、七転八倒の大騒ぎを演じるという
内容です。マーティン・ローレンスを主人公にして演出のタッチをちょいと変えれば、全く同
じ脚本でドタバタコメディが作れる仕掛けになっています。悲劇と喜劇は紙一重と言われる所
以ですね。身から出た錆だとニヤニヤ笑ってる場合じゃないですよ。思い出しませんか。ほか
の連中がワイワイと捜査しているのを横目で牽制しつつ、素知らぬ風を装って隠蔽工作に没頭
するワシントンの姿を見て。あなた、仕事場でとんでもないミスをやらかしたことに気づき、
上司や同僚や後輩に悟られぬよう平然としながら、独りで何とか事態を解決しようとした経験
はありません? 脳天が冷たくなって、指先が震え、話しかけられても生返事。喉が締めつけ
られ、背中が熱くなって、自分と外界が遮断されたような感覚。他人がいつも通りの平和そう
な顔で動き回っていることが何か不思議な光景に思えてくるやら癪に触るやら。しまいにゃ自
分のヘマを棚に上げて、ああ何故に私だけがこんな目にと天を呪う始末。事故、殺人、窃盗、
詐欺、横領、不倫など、後ろめたい隠し事を抱えてプレッシャー感じている人にとっては、ち
ょっといい冷汗かけそうな映画です。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.115 『ピーターパン』
●弟分を引き連れて面白おかしく生きるチームのリーダが、最近堅気の娘と仲良くしているの
を見て、女房気取りのズベ公がヤキモチを焼く騒ぎの裏では、40過ぎていまだに中学同級のボ
ンクラどもをパシリに使って地元でゴロまく不良中年が、今度こそギャフンと言わせてやると
隙を窺う。これがピーターパンの世界です。今回はまた、妙なことに、ピーターとウェンディ
の関係に性の予兆をからめていて、これがウリのようです。精通も初潮もまだの少年少女によ
る凖恋愛行動ですが、キスの後にはセックスが、セックスの次には結婚が、その先には家庭が
待っているという男の人生の覚悟を、ウェンディが象徴しているわけです。それを拒絶した者
の成れの果てが、脂っぽい中年になって妻もなく、子もなく、友すらもいないフック船長。ピ
ーターパンに女ができてあっちの世界に行かれそうになると、真顔で焦りまくる駄目な大人で
す。クライマックスでは、ピーターとボーイズに「オジン!」「オジン!」と責め立てられる
という、同じ境遇の人間にとっては目を覆いたくなるような惨劇に見舞われています。くそ。
では、フック船長の対極に位置するのは誰か。それがウェンディのパパ。銀行員で上司に気を
遣い、子供の教育に気を遣い、家計に気を遣い、妻の心情に気を遣い、でもウェンディのママ
は言います。「普通の人生を歩むことも勇気の顕れなの」と。舞台ではフック船長とウェンデ
ィのパパは同じ俳優が演じることが通例だったというのも、そういうテーマに則った約束事だ
ったのでしょう。だから本来、この物語は、オイタも程々に、堅実に生きるのが一番であると
いう人生の真理を、襲え諭しているお話なのです。ところでピーターは? ピーターはどうな
った? 少年の心を忘れないピーターはね、少年の心のままフック船長になりましたとさ。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.116 『ホーンテッド・マンション』
●ニヤニヤニヤ。ちっがーだろ、おめえら。ニヤニヤ。えー、お化け屋敷の映画です。ニュー
オリンズの古い屋敷の持ち主から「家を売りたし」という連絡を受けて、不動産仲介業を営む
エディ・マーフィーが張り切ってやって来ました。ところがそれは、南北戦争前の時代に若き
当主が自殺をして以来、呪いがかけられた幽霊屋敷だったと。かくしてマーフィーの、馬鹿の
大騒ぎが始まるという内容です。ところで、その当主の自殺。彼が求婚していた恋人が、理由
もわからず突然に自殺してしまったため、悲嘆に暮れたあまりに後を追ったという話らしいの
ですが、これが全て、執事の手による策略だったんですねえ。恋人はプロポーズを承諾するつ
もりだったのですが、執事がそうはさせじと毒を盛っていたんです。「なぜだあ!」と21世紀
の今になって露見した真相に、当主の青年が動揺して大声張り上げます。「何をおっしゃる若
様!」と、やや憤慨した面持ちで言い返す執事。「この私めの思いが、お分かりになりませぬ
か。これすべて、お家のため。幼き日よりお仕え申しあげた、若君の将来をおもんぱかっての
こと」。あ、別に時代劇口調の字幕が出ていたわけではありませんから、念のため。彼が言う
には、おそらく結婚が認められそうもなかったからでしょう、主人が女と駆け落ちしようとし
ていたので、やむなく暗殺したのだそうです。そこがあやふや。ハッキリ言やあ、いいじゃな
いのさ。彼の恋人が黒人であることが大問題なんだって。どう考えたって、領主の息子が領地
に住む農奴の娘を見初めたって話でしょ。黒人の血を貴い血統に混ぜるなんて、自分には認め
られなかったのだと、何故言わない。言える訳ないだろう、ファミリー映画で。どこの会社が
作ったと思っているんだ。じゃ、何故こんな話をわざわざ書くか。そこが理解できんわけです。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.117 『真珠の耳飾りの少女』
●フェルメールの名画「青いターバンの少女」製作秘話を創作した、実に面白い映画です。絵
のモデルとなったフェルメール家の小間使いを演じるのは、ボッテリ唇のスカーレット・ヨハ
ンセン。「喜怒哀楽」がそれぞれ「薄笑い」「ブッチギレ」「不機嫌」「しかめ面」になって
います。いつだってこの娘は苛立った眉とキレ気味の目付きをしていますから、今回も素中の
素〈すちゅうのす〉でいただけでしょう。映画の白眉となるのは、誰もが指摘する通りに、暗
に破瓜を意味している、フェルメールが彼女の耳たぶにピアスの穴を開けるシーンであります。
が、私としてはむしろ続く場面、彼女が息急き切ってボーイフレンドを探し出し、立ったまま
セックスする姿に凄まじいエロを感じてなりません。別にセックスしているからではない。彼
女には、実際にフェルメールの男根を迎え入れることができないのならば、ほかの男のもので
も構わないから、とにかく一分一秒でも早く、この耳の痛みを忘れてしまわないうちに、処女
を打ち破らなければならない、という切迫した思いがあった。その必死の形相に、ズキズキ脈
打っちまうんだよ! 別にキレんでもええか。ま、私の性感はおいといて、フェルメールの傑
作が完成しました。ところが面白くないのが彼の妻。アトリエに籠りきる二人を、絶対に浮気
していると邪推して、現場を押さえようと乱入してきます。真相を知っている妻の母親が慌て
て後を追う。画商もやって来る。全員が揃うなか、仲間外れは誰であるのか。フェルメールは
芸術家です。画商は芸術を理解できる。ヨハンセンは芸術は理解できないが、美は理解できる。
姑は芸術は理解できないが、芸術家は理解できる。ひとり、フェルメールの妻だけが、なーん
も理解できない。問題の絵を前にして、一同が息を呑んでいるのに対し、「なんでアタシがモ
デルじゃないのよ!」などと叫ぶ始末。だからさ、奥さん。その程度の言葉しか浮かばないオ
ツムだから、おマメにされてんでしょうが。何かを理解しあえる高度な精神を持ち合わせた集
団の中で、自分の存在だけが凡庸であったときの、凄まじい疎外感がこの瞬間に吹き荒れてい
ます。も、ブタ扱いだもん。「芸」を解せん鈍い輩は、メシ喰ってクソひってケツ掻いて寝て
ろってことですね。ちなみに、部屋を退出するように命じられたヨハンセンが、妻とすれ違い
ざま物凄いメンチを切っているのにご注目。「なんかしとんじゃ、こんボケっ」って言ってま
すよ。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.118 『パッション』
●新約聖書でのイエスの受難について映画化した力作です。構想12年ということですから、16
年前に公開された『最後の誘惑』を観たメル・ギブソンが、そのあまりの改変ぶりにドタマに
きたのが、そもそもの製作意図だったでしょう。それだけに、木曜の「ゲッセマネの祈り」か
ら日曜の「復活」までが再現されています。「リンボーへの降下」と〈ノリ・メ・タンゲレ〉
は割愛されていました。特に後者は、わざわざモニカ・ベルッチをマグダラのマリアにキャス
ティングしたくらいだから、絶対ここで終わると思っていたんですが。十字架を担ぐキレネ人
のシモン、布を差し出すウェロニカも、ちゃんと登場します。しかし、最も力を入れているの
が、やはり拷問と磔刑のシーンですね。滅茶苦茶やってます。「反ユダヤ主義を煽る意図はな
い」とは監督のコメントですが、しかし、教育の一環として幼子を連れていって「パパ! イ
エス様をあんな目に遭わせたのは誰!?」と聞かれ「ユダヤ人だよ」と答えれば、どうしたっ
て……ねえ。それだけの災難に見舞われながらも、イエスはイスラエルの民衆を許してくれる
よう神に祈り続けます。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」。暴力と憎悪の連鎖を断ち切るには
寛容の精神を互いに有するしかない、とは気安く耳にするフレーズですが、その言葉を口にす
るからには、かくも理不尽な暴力をぶつけられても誰一人呪わずに死ねるだけの覚悟が必要で
あるということなのでしょう。聞いてるか、CASSHERN。そして、この映画で強調されているも
う一つのポイントは、息子の処刑を最後まで見届ける聖母マリアの無念の形相です。たびたび
挿入され、十字架降下の後はお約束通り〈ピエタ〉の情景が映し出されています(また、この
ワンショットが物凄く絵画的で驚く)。可愛がって育てた我が子が、残虐非道悪口雑言罵詈讒
謗の暴力に痛めつけられ、犬以下の扱いを受けて殺されていくのをただ見つめるしかない親の
無念を思うと、胸が締めつけられます。このあたり、子沢山のギブソンならではの、苦渋に満
ちた演出と言えるでしょう。自分の子供が法的・社会的に抹殺された人は、一生観ない方がい
いですよ。そのほかにも「ダチを売る奴は万死に値する」「口先だけの友情」「官僚の事なか
れ主義」「ジジイの嫉妬は社会の害」「掌返しな大衆の正義」「宗教はトラブルの元」など、
苦い教訓が満載です。週末にでも家族で観に行って、嫌な気持ちで一日を終えて下さいね。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.119 『死に花』
●老人ホームに暮らす、仲良しグループの一人がお亡くなりになりました。故人の企画でお葬
式は、モニターの中から本人が歌うジャズをBGMに、弔問客がダンスを踊って見送るというシ
ャレたものに。映画ならではの、粋でロマンチックな演出から物語はスタートします。現実に
は全員引くだけだと思いますので、日本人の性質をよく見極めてからプロデュースしましょう
ね。さて、故人にはほかにある企みがありまして、それに乗せられた格好で、残りのメンバー
が銀行の地下金庫を狙うというコメディです。これが昭和30年代に作られた作品であったなら
ば、「いっちょドーンと行ったりましょうや!」と高度成長的バイタリティ溢れる、古稀を過
ぎてなお、起床するやヘソにくっつかんばかりの怒張から見事な放物線を描いて放尿、しかも
虹つき、みたいな勢いの映画にもなったのでしょうが、何せこの御時世なもんで、アルデンテ
な勃起、しかもカミさんに言われるまま便座に座って放尿が精一杯の仕上がりでした。判り易
さを追及しすぎて、却って把握しづらい例えになってしまいました。失敬。しかしまあ、彼ら
がそんな銀行強奪計画で遊んで愉しんでいられるのも、億に近い金を払って高級老人ホームに
入居できるだけの人生を歩んできた人物たちであるからこそなのです。金、持ってるんですよ、
この人たちゃ。平成不況でお疲れの日本人に元気をアゲル、みたいな姿勢を見せながら、実は
自分たちだけノアの箱船に乗り込んでいたような、ちょっと底意地の悪い感じがありますね。
歳取って現金持っていないのは無様だぞ、という教訓です。なんだかんだ言っても若いうちは、
年長者や両親が生きているからこそ、強気な生き方でも出来るってモンですが、やがて自分が
老人となって世代の天辺にのし上げられたあかつきには、何を拠り所にすがって立ち続ければ
いいのか。その柱の一つが金だってことでしょう。それがなければ、何か精神的な柱でしょう
かね。金も精神も持つことが出来なかった人? さあ、溶けでもするんじゃないの。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.120 『バーバー吉野』
●実に勿体ない映画です。舞台は小さな田舎町。そこには、その昔、山に天狗が出没したとい
う伝説があり、その天狗様を祀って、小学男子は全員、理髪店「バーバー吉野」歴代店主の手
によるマッシュルームカット風な吉野刈りに頭を揃え、早朝からハレルヤを合唱するという奇
妙な風習がありました。ある日、東京から転校生がやって来て、同級生の髪形を見て絶句。か
くして、吉野刈りに抵抗する少年と、執拗にプレッシャーをかける「バーバー吉野」現女店主
との攻防が展開する内容です。特にスリリングなのが、転校生の「何で天狗なのにハレルヤな
の?」などのもっともな指摘により、町の文化的・精神的基盤である「天狗伝説」の真相が露
呈しかける瞬間です。この線をもっと延ばして書き込めば、「伝統」という名の権威を、その
間抜けな発端を暴くことで笑いのめすという、大いなるテーマを掘り起こすことも出来たので
しょうが、脚本も書いているこの監督さんには、そういう理詰めで攻める構成にはあまり興味
がないらしく、結局「少年期の懐かしい記号」をちりばめるという、情に偏った流れで筆を進
めていました。最初に勿体ないと書いたのは、そういう理由からです。監督さんのそういった、
箱よりも球を好む姿勢は、ドラマの中心人物である理髪店の女主人に対するコメントにも表れ
ています。彼女を根本的にはどこか憎めないオバチャンとして描きたかったらしいのですが、
その目的で、この人物造形は、私にはとても一致して見えません。実際、こういう感じの人い
るんですけれども、とんでもないですよ、このオバハン。理髪店の主人に過ぎないのに、自分
の家系は代々、髪を切ることでこの町の風土と規律を正してきたという肥大した自負を持ち、
毎朝校門に立って生徒の髪形検査を行い、毎夕には有線放送で(この人の考える)道徳をたれ
る。でもなオバハン、あんた何者だ? 町議会で任命されてるのか、教育委員会から委任され
てるのか。何の役職なんだよ、あんたのそれは。ボランティアか、正義心か。「いーえ、これ
はうちが代々受け継いできた聖職ですから。伝統ですから。選ばれた者の勤めですから」。彼
女の場合、これが金銭や特権や権益が目当てでなく(それは明白のようだ)、崇高なる責任感
によって行動している点が問題で、信念と盲信がゴッチャになっているんですね。こういう手
合が、ひとたび国が戦争を起こしたりすると、今こそ銃後の守りを固めるとき、及ばずながら
粉骨砕身お国のため、とか口走りながら頼まれもしないのに、自分の意に従わず個人の行動に
走る向こう三軒両隣を告発したり密告したりするんです。きさーんがやらねば誰がやる。やん
なくていいよ、迷惑だよ。それが証拠に、映画のラストで吉野刈りが廃止になったのを受けて、
「仕方ないさ、時代の流れだもの」とか客と愚痴りあって勝手に納得して、何も判っていない。
時代じゃねえだろーが。あんたみたいな人には何言っても無駄だって、俺は、この身をもって
知っているよ。あー、殴りてえ。本来ならば、こういう人間に血反吐を吐かせるのが創作者の
使命ではないかとさえ思うのですがね。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)