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Vol.121 〜 Vol.130
Vol.121 『ビッグ・フィッシュ』
●いつかも書きましたが、父と息子の話ってのが、てきめんに涙腺に効く性分でして。おまけ
に最近、中年の危機と申しましょうか、親と死に別れる場面ばかりが脳裏に浮かぶもんで、余
計にラストシーンで胸が詰まりました。というわけなので、結果オーライではあるんですが、
この物語、冒頭からしばらくは全く理解できない内容です。いや話がではなく、この息子の頭
の中が、です。彼の父親はなかなかのストーリーテラーで、見てきたようなホラ話を、暇さえ
あれば子供に聞かせていました。幼い頃は心時めかせていた息子でしたが、やがて同じ話を際
限なく繰り返されるのに嫌気がさし、思春期の反抗心も手伝って、父親の存在を疎ましく思う
ようになってしまいます。そして自分の結婚式の日、相変わらずおなじみの駄ボラを息子の嫁
や、その親族に吹聴するのを見て、決定的にキレてしまうわけです。その心理が私には理解で
きない。なんか、お前、ちいせえよなあ。10代のガキじゃあるまいし、結婚する歳になっても
まだ、親を一個人として客観視することができないのか。嫌がる相手に無理矢理つまらんダジ
ャレを連発しているわけでもなし、むしろベテランの話芸に客も喜んでいるんだから、お袋さ
んに目配せして「オヤジの十八番がまた始まったよ」と苦笑いでもしてりゃあいいんだ、そう
いうときは。ましてや「ボクの結婚式で、お父さんが目立つなんて!」って、あのなあ、花嫁
が言うならまだしも、新郎のお前が目立ちたかったのか。ちょっと唖然とします。そんな彼も
映画の最後には父親と和解し、その人生に思いを馳せてジ・エンド。だったらさあ、もう少し
早くに歩み寄っておけばなあ。学ぶべき教えも、感じ入る言葉も、知る愛も、もっともっと記
憶の中に残して置けたでしょうに。まあ、いいか。どうせ世の中は順繰りだし。今度はキミが、
息子に毛嫌いされる番だ。自分の肉親と断絶している人に、ちょっとの間、我とわが身の有り
様について考えさせる、そんな感じの映画ですね。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.122 『ロスト・イン・トランスレーション』
●この映画が邪悪、とは思っていません。強いて言うならば、どこにシナリオがあるのかよく
判らない。現場でビル・マーレイとディスカッションしながら、彼の言葉で紡ぎ上げていった
ということならば、それは共同シナリオにならないのか、という疑問点ぐらいでしょうか。し
かし、映画の中の一場面に、私は猛烈に共感し、凄まじい怒りで汗まみれになったのでした。
それは、スカーレット・ヨハンセンが夫とホテルから外出しようとした矢先に、夫が以前一緒
に仕事して意気投合したというハリウッド女優が「あら、偶然ね!」とか言いながら近づいて
きた場面です。その瞬間から、ヨハンセンの存在など忘れたかのように、二人は延々と、互い
に通じる記憶を前提にした会話に興じるのですが、これ、現実の世界で私が最も許せない状況
の一つなんです。これをやられて、あなた、ストレス感じませんか? 話に加わる取っ掛かり
もないし、そもそも向こうさんも加える気が無い。聞いたって興味のない話を聞くふりをする
のは疲れるが、さりとてよそ見するのもいやらしくは思われないか。ハッキリと態度を決めて、
その場を離れてやろうか、それも大人げないか、だからといってここにボケッと無言で立って、
俺は一体何をしているのか、まるでバカにしか見えないではないか、すでにもう何人かがこの
俺の姿に気づいて遠くからクスクス笑いながらねえあそこの人さあ身の置き場がなくてヤキモ
キしているけどそれを悟られまいと平然とした顔をしていることくらいすでにバレているんじ
ゃないかと思っていると露見しているかもと考えているのが悟られているんじゃないかと……。
いや、映画の中では、夫の愉しそうな素振りにヤキモチ半分という心理なのですが、私の場合
は、女や友人と一緒でなくても、例えその場で初めて顔を合わせた仕事上の関係者であっても、
横から話を差し込んでくる人間に無性に腹が立ちます。人が人と話してるときに、君んちが火
事だ! とか、日本が開戦した! 規模の話でもないのに、人に話しかけてくるんじゃねえよ、
お前ら。こちとら、用事があろうとなかろうと、顔を知っている人間は全員避けて通るぐらい
なんじゃ! ああ、こうして思い出しても、目の前が真っ赤に染まる。ソフィア・コッポラ、
自分観察者としては、なかなかの目利きなのかも知れません。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.123 『エージェント・コーディ』
●勉強ができて運動神経も抜群の高校生スパイが、CIAのボインボイン女性エージェントを
パートナーに従え、世界平和のために007流の大活躍。ヒラリー・ダフのパフパフした二の腕
に抱きつかれて夕日を見ながらチュウでエンディングという、まるで野原しんのすけの原案を
大のオトナが本気で映画化したような内容でした。主人公のコーディー君に下されたミッショ
ンは、ある科学者の行動を探るため、その娘であるヒラリーちゃんに接近し、ついでにボーイ
フレンドになれ、というものなのですが、コーディー君は今まで女の子をお茶に誘った経験す
らないので、CIAの局長以下スタッフ全員一斉にズッコケる、ああほやあと三枝師匠も転げ、
山瀬まみが急いで椅子を直す、というのがメインのギャグです。この映画が初めてではありま
せんけど、15歳にもなって女の子を口説けない男は、笑いものである、という話ですね。これ、
日本ならまだ、晩稲とかシャイとか硬派とか、10年早いとか、大学に受かってからでも遅くは
ないとか、いろいろと擁護してもらえるんでしょうが、西欧ではハッキリと、出来損ないの人
間として烙印を捺され嘲笑されるわけです。あなた、自分が15歳の時、そんな学校地獄で生き
延びられる自信ありました? いろいろとあってコーディー君が自宅にヒラリーちゃんを連れ
て行く場面があります。その場に遭遇した瞬間の両親の顔。驚くよりも安堵しています。宅の
息子も15歳になってやっと女の子を連れて参りましたのよ。あたくしもう、ホッといたしまし
たわ。そんな母親、日本に何人いることでしょうか。どっちが良い悪いの話でもありませんが、
日本人の男の子は、日本に生まれ育って本当に儲け物だったと、つくづく天に感謝するべきか
も知れません。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.124 『スパン』
●覚醒剤にまとわりつくロクデナシどもが右往左往するコメディです。中毒者が更生するわけ
でも、社会のダークサイドを告発するわけでも、青春の光と影を活写するわけでもなく、ただ
もう「バカでしょ、こいつら」と苦笑混じりにポンと突き放したところが、見ようによっては
抑止力となるかも知れません。浪速のジョーが不良だった時代、族仲間がシンナーでラリって
鶏の真似をしているのを見て、そのあまりの情けなさに目が醒め、足を洗おうと決意したとい
うエピソードを不意に思い出しました。宗教と恋愛がそうであるように、中毒している人の姿
って間抜けなんですねぇ、やっぱり。しかし、このコメディの本当の恐ろしさは、出演者が全
員、演技者としてではなく、働く大人として、笑い物にされている点にあります。キャストに
は、明日の映画界を担う期待の若手が顔を並べているのですが、お前らのやってることはちっ
とも可笑しくないが、お前らが望んでやらされている光景は馬鹿丸出しで可笑しいぞ、という
こと。現場で誰も気づかなかったのか。特に失笑を禁じえないのがジョン・レグザイモとミー
ナ・スバーリ。ま、レグザイモが一生分の恥をかくのは構わないとしても、スバーリは、この
映画でそんなカードを切ってしまって、この先の見通しは立っているのでしょうか。クロエ・
セヴィーニともども心配。ミスマッチ感を狙って、本当に着こなしをミスってる服飾専門学校
の生徒のようです。ちなみに、一番のベテランであるミッキー・ロークが、演技者としての貫
録を示しているように見えますが、これはむしろ、皆がロークのレベルに沈降してしまったが
ための、総体的な結果に過ぎないでしょう。穴の空いたバケツは、それがどんなに大きなバケ
ツであろうと、その穴より上には水面が来ないのと同じ理屈です。ん、つまり、監督の罠とい
うよりは、ロークの呪いだったのか?
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.125 『世界の中心で、愛をさけぶ』
●処女と童貞のまま、白血病で死に別れる恋。メロドラマの王道の一つですね。売れてるもの
の宿命で、いろいろと非難する人も多いようです。さすがに中年の身には、少々胃にもたれる
内容ではありましたが、仮に10代の頃に観たならば、何か感じ入る点もあったかも知れないな
と、ふと思い、私としてはとりたてて糾弾する気にはなりません。内容は全て、男の子の妄想
です。それも、現実の世界であまり恋愛に縁がなく、ボクだったらデートの時にこんな会話を
すると、自分のセリフだけでなく相手の受け答えまで完璧に、ジェームス三木ばりの構成力で
シナリオ化しながら結局はオナニーにもつれ込む毎晩を送るような、ガールフレンドが出来た
はいいが漫画みたいなドラマチックなハプニングはあまりなく、小説みたいなセリフで打ち返
してくるほどにはシャレた女の子でもなく、ドラマと違ってセックスの後はコンドームの処理
から身支度までが物凄く面倒くさいと判ってうんざりするような、思い通りにいかない(あた
り前)現実の気の利かなさに嫌気がさしているロマンチック・ノイローゼな男の子の妄想です。
似たような場面を、錯乱ギリギリまで煮詰めるティーンだった私としては、だから、あまり論
破する気にはならないわけなんですね。彼女のために尽くす献身的な俺。腹の中には独占欲。
二人の愛を確認するため、エアーズロックへ彼女を連れて行く行動力抜群の俺。彼女、早死に。
無理解だった彼女のお父さんに、最後には誠意を伝えることができた真実一路な俺。普通なら
半殺しにされたうえで、告訴。うんうん。ああだ、こうだ言ってる男連中の何割かも、こんな
女の子とあんなことしたいなあ、とか思っていた過去があるはずだぞ、どうせ。女はこういう
の好きだよねえ、ま、映画のおかげでムードの盛り上げ手順一つラクできたな、というのが普
通の男が取るであろう態度であって、貴様らどうしてこんな腑抜け映画で泣けるんだっ、とい
きり立っている男ほど、どこか怪しいと思った方が良いでしょう。それにしても大沢さん。二
人の約束の地に行ったはずなのに、その遥か手前の、どうでもいいような原っぱで灰を撒いち
ゃ、まずいんじゃないかえ。這ってでも天辺に昇れよ。世界遺産か何かで、ゴミを撒いたら怒
られるのか。何か全体に、こういう詰めの甘さがあるよな、この男。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.126 『スパイダーマン2 』
●今回は映画自体が悪ということではなく、どないやねんという話なんですが。私、子供の頃
に、安全剃刀の扱いを間違えて、人差指の先端を真一文字に切り裂いた経験があるんですよ。
それ以来、先端恐怖症の変形なのでしょうか、剃刀などの薄い刃とか、それで切り裂かれた切
れ目、というのが心底怖くてですね、映画に出てくるたびに目まいがするんです。でもって、
このスパイダーマンだぁ。あの男、手首の切れ目から糸出してないか、切れ目から。しかも、
その糸にぶら下がって振り子運動って、お前全体重が手首の切れ目に集中するジャンかよ。い
てえええええ! さらに今回、観ましたか、あの、電車を停めるシーン。なんちゅう、ご無体
なことを。喉の奥から苦い液が出かかったので、目をつぶってましたよ。正視できるか、あん
なもの! あなた例えばね、手首切られて、静脈をズリッと引きずり出されてですよ、その先
を博多行きのぞみに括りつけられたまま出発進行されたら、汽笛一声新橋まで我慢できるかっ、
こら! 思い出しただけで、また、胃が痛くなってきた。だいたい、体から、変な液を出して
戦うってのが気持ち悪い。スパイダーマン……、パート3は耐えられないかも知れません。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.127 『誰も知らない』
●この監督の映画はいつだって、まるでお化けが出ている話みたいですね。実際、あの世が舞
台の作品もあったりしましたが、どの登場人物も、この世の存在とは思えない、体の向こう側
の風景が透けて見えるような連中ばかりです。例えば今回なんかも、ラストシーンにタモリの
ナレーションで「この不思議な兄妹は、今日も東京のどこかで暮らし続けているのです」と入
れれば、そのまんま都市伝説になりますし、実は全員室内で餓死していたのだという、死体が
寄り添うショットをクレジットロールの最後にインサートすれば、ショッキングホラーに早変
わり。血の通った肉の質感に欠けているのでしょう。同様に、何かと言及されることの多い、
YOU演じる母親の人間像も、なにか、どこか、首尾一貫しない感じです。三段跳びなのに、
ホップ、キック、月面、てな感じ。種から育てたキャラでなく、場面ごとに継ぎ接ぎしたキャ
ラだからですかな。でもキャスティングの勝利で、得も言われぬ妙な存在感はありました。
「無責任だけど、どこか憎めない」という、新聞雑誌でよく目にするコメントには全く同調で
きませんが(子供を小学校にすら行かせず、おのれはどこぞの男をしゃぶりまくっているよう
な女やぞ)、推定年齢40にも関わらず女の子みたいにポヨポヨとした話し方や振る舞いを見る
につけ、今までそのメソッドだけで、男に対して醒めているつもりで実は男なしでは腰も立た
ない自分にも気づかぬまま、「あたしのせいじゃないわよ」を決め台詞に、何もかもを後回し
に、臭いものに蓋を、面倒臭いことを先送りに、払いをツケにしてきたであろう、彼女の頭の
中の殺伐としたパノラマが想像できて、私は恐怖せずにはいられないのです。私にとっては、
これは恐怖映画でした。でもって、ほかに出てくる人間が全員無責任というのがまた凄い。種
元と目されるインチキ男たちは言うに及ばず。おかしいと思わないはずはないのに警察に通報
しない、そもそも思わなかったというのが職務怠慢な管理人。オニギリをくれてやることで、
何か崇高なる聖戦に挑んでいると勘違いしているようだが、それより先に社会福祉事務所に連
絡するのが正しい市民の義務だとは思いも寄らないコンビニの店員。何奴も此奴も頭のネジが
緩みっぱなし。俺たちみんな、水温がゆっくりと上昇しているのも知らず、そのまま茹で上が
ってしまう蛙なのだと、そういう静かな告発が込められているのかも知れません。
(上田貴士/バカボンのパパと同い年!/編集)
Vol.128 『モナリザ・スマイル』
●53年のニューイングランド。スタンダードな良妻賢母こそが女の生きる道、との校是を掲げ
る名門女子大にやって来た美術教師。「女性ももっと、自分のキャリアを第一に考えて生きて
いいはず」という彼女の信念がブルンブルン空回りしていく内容です。この女性、美術教師の
くせしてミケランジェロも生で見たことがないと判り、教授会の連中が呆れます。一事が万事、
そういう詰めの甘さが、彼女には目立ちますな。成績優秀な生徒が唯々諾々と家庭の主婦に収
まるのを思いとどまらせようと、必死で説得したところで、「それってぇ、先生が満足してい
るだけなんじゃないですかぁ」とアッサリ見透かされる有り様。自分の頭で自分の人生を考え
なさいとか言って、てめえが付き合っているイタリア語教師のインチキには全く気付いてない。
とほほ。私自身が認めるところですが、他人に説教する快感って、ホント一度味わったらやめ
られないもので、彼女が罹っているのも、そういう依存症なのでしょう。いわゆる「お前が言
うな」の世界ですね。ところで、こういう「キャリアか結婚か」という論議を聞くたびに思う
のですが、どうして、どちらを選ぶかという選択肢を平気で考えられるんでしょうね。これ当
然のことながら、どちらも手に入らない人生が殆どだと思うんですが。周りの男を見れば判り
ますが、大抵は、仕事にも女にも満足いきやしません(結婚すりゃあ、就職すりゃあ、それで
いいって事でもないんでしょ)よ。縦横四つの事象があって、両方を獲得するのが奇跡に近い
以上、最低でも三分の一は、男はサッパリで仕事もシオシオの一生を送るしかないでしょうに。
どっちか片方は手に入ると無条件に信じるなど、図々しいにもほどがあるということを悟りま
しょう。あと、自分探しとかな。誰にもねえよ、そんなモン。そもそも「育成」とか「研鑽」
とかならともかく、「探し」ってなんだよ「探し」って。
(上田貴士/後厄/編集)
Vol.129 『ヴィレッジ』
●決して森へ入ってはいけないと言われているのに、瀕死の恋人を救うため、決死の覚悟で森
に踏み込んだ村の娘。襲いかかる、赤頭巾の魔物。その正体は……隣村の住人だった! 実は、
近隣に人が住んでいるとは知らない者同士、お互いに相手を怪物だと思い込んではビビリ合っ
ていたのだ! というオチの映画です。嘘です。今、私が思いついたオチでした。でも多分、
古今東西のショートショートや短編小説を調べれば、絶対同じアイデアは存在するでしょう。
そうであっても、また仮に、彼女の行く手にウルクハイやジャワズ族が現れる展開であっても、
この映画のラストシーンにはちゃんとつながります。つまりこの映画にとっては、ドンデン返
しとかは単なるサービスに過ぎないわけで、四の五の言っても始まらない。監督がやりたかっ
たことは別であるということですね。コメントを読むと「愛の力を描きたかった」みたいな事
が書いてあり、映画を観る前には、こりゃまたオッサン何を寝とぼけとんのじゃい、と訳が判
らなかったのですが、観終わった今では、確かに有言実行していると理解できます。かなり暑
苦しくって気恥ずかしくって正視できないレベルのロマンチックではありますが。村の女は処
女から初老の後家さんに至るまで、まさに恋愛したい症候群状態。盲目のヒロイン(やっぱり
超能力持ち)は、やっと出来た恋人が死んでしまえば自分の人生は終わる、だったらいっそ死
んだらあ、と佐渡の荒波をバック(私のイメージ)に女の一念で死地に赴く。これがロマンチッ
クでなくて、なぁにがロマンぞ。ところで捨て置けないのは、あらすじを最初に聞いて「まる
で引きこもりの村じゃんか」と思っていたら、本当に引きこもり者達の村だったという真相で
す。この監督、地元ばかりで映画作るので有名なのですが、今回も車で45分のところ(通勤圏
か)にオープンセット組んで撮影しているそうです。その上で、村の第一世代達に「ここは天
国だ」と語らせている。そんなに表出んのがイヤか。改めて振り返ると、「シックス・センス」
からこっち、登場人物の行動半径がどんどん狭まっているような気がします。でもって空想す
るのは、女子に一方的にコクられて始まる、チッチでサリーな甘酸っぱい恋ものがたり……。
し、心配だなあ。
(上田貴士/後厄/編集)
Vol.130 『MASK DE 41〈マスク・ド・フォーワン〉』
●大学時代プロレス研の選手だった中年が、リストラされたのを機に、後輩の口車に乗せられ
て弱小プロレス団体を旗揚げ。勢い余って、マスクマンとして自らリングに立つというお話で
す。「頑張れ不惑」コメディ、ということなのでしょうが、この映画には、見逃してはならな
い重大な問題が込められている気がしてなりません。というのも、主人公と彼を取り巻くプロ
レスファンの同志達が、あるトラブルで凹んだときに自らの士気を鼓舞するため取った行動は
何であったか。それは、タイトルとか私には判らないのですが例の、声に出して読みたいアン
トニオ猪木の「迷わずゆけよ、ゆけば分るさ」という一節を、朗々と唱える行為なのでした。
プロレスファン(格闘技ファンとは微妙に領域が違う気がする)を自称する人は、テレビのバ
ラエティに出る芸人さんでも普通の私生活を生きる一般市民でも、下手すりゃ特にプロレスを
見ない人でも、大抵これを口にしますね。もう、頭数だけ取ったら、立派に宗教団体みたいな
もんとちがいますか。そういう連中が、一丁事あるたびに「この道を行けば〜」と拳を握って
は無謀な賭けに出るわけです。しかし世の中、何事も半々というのが掟ですから、大失敗こく
奴はちゃんと存在します。それに巻き込まれる親兄弟恋人友人通行人も、それ以上に存在しま
すし、この主人公もその一人であるということです。そういう、猪木イズムの功罪について、
世界で初めて正面から取り上げた映画ではないだろうかと、斯様にわたくし思う次第でござい
ます。えー、それではみなさん、ご起立のうえ、一緒にご唱和下さい。いち、にい、さん……。
(上田貴士/後厄/編集)