映画がそんなにエライのか

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Vol.131 〜 Vol.140

Vol.131 『最‘狂’絶叫計画』
●歳を取ると、客としての笑いに対する姿勢も保守的になってしまうものなのでしょうね。
「不謹慎だ」などと無粋なことは申しませんが、どうにも首を捻ることが一つあったので、こ
こに記しておきます。あ、映画自体は、監督ほかスタッフが変わったせいか、前2作でのなん
の工夫もなく「ウンコ!シッコ!チンコマンコォ!」と叫ぶだけの低能な内容から一転。「裸
の銃シリーズ」と同じ、「鈍感と勘違いが人の迷惑を顧みない」という笑いに方向転換してい
ました。高齢のためかゲスト出演どまりでしたが、レスリー・ニールセンもお元気そうで何よ
りです。最近ヒットした映画のパロディが並ぶわけですが、メインとなるのが「サイン」と
「リング」でして、その「リング」のパロディに登場する男の子、この子の扱いが最初から最
後までもう滅茶苦茶なんですね。何の恨みがあるのか、車ではね飛ばす、窓から放り投げる、
しまいにゃバットのフルスイングでボコ殴りにされます。もちろん特殊効果で処理されてはい
るし、コメディとしてオーバーアクトはしていますが、しかしでき上がった映像は、大人が子
供をバットで何発も殴り続ける姿です。子供を車に残してちょっとスーパーに入っただけで幼
児虐待の罪で逮捕されかねない国で、なぜこのネタは問題にされないのでしょうか。不思議で
なりません。コメディは別もの、という大人の判断だとは思いますが、でもさ、イラクでとや
かくあったときに、ティーン向けのコメディ映画のポスターで星条旗とピースサインの組み合
わせは検閲したくせにな。アメリカの理屈って、時々判りません。ま、笑いを良識の物差しで
測るのも間違いだと思うので、このネタの存在自体は問題なしとしましょう。それはそれとし
て、でも、愉快か、これ?
(上田貴士/後厄/編集)


Vol.132 『モンスター』
●シャーリーズ・セロンが太ると、アンジェリーナ・ジョリーよりもよっぽどジョン・ボイド
の娘らしいという思い掛けない事実にビックリした作品でした。実在の殺人犯を演じているわ
けですが、写真を見る限りでは本人よりも男に見えます。悲惨な幼少期を皮切りに、人生の歯
車を自分の手で狂わせ続けた彼女。それでも一度は更生しようと立ち上がったこともあり、そ
のきっかけとなったのが、同性愛者である恋人のクリスティーナ・リッチでした。リッチを食
わせるために、セロンは何とか堅気の仕事に就こうと苦闘しますが、なかなか巧くいかない。
更にはリッチから「だったら、また体で稼げばいいじゃないの!」と突き放され、セロンは殺
人鬼の坂道を転げ落ち続けるのでした。浪費家の妻に安月給を責められ、会社の金に手を付け
て逮捕される気の弱いサラリーマンのようです。タイトルのモンスターとは、実はセロンのこ
とではなく、糞だめの中で生きる人間にすら、情け容赦なく追い込みを掛けるリッチのことだ
ったんですね。シレッとした顔して、何でも、自分はしてもらうのが当然だと思っている奴。
そのための理由なら、百でも二百でも瞬時に頭に浮かぶ奴。その手の人間が世の中をややこし
くするのだという教訓なのでしょう。ちなみに、セロンが男を処刑する場面は、なかなか緊張
感あふれる演出でした。女性の監督さんですが、このまま犯罪ドラマを獲り続ければ花開くか
も知れません。かつてキャスリン・ビグローに裏切られた私の期待に、今度こそ応えて欲しい。
(上田貴士/後厄/編集)


Vol.133 『リヴ・フォーエヴァー』
●オアシス。ブラー。バンド名だけは耳にしたことがありましたが、詳しくは知りません。そ
んな程度にしか音楽の知識のない私でも理解できるように、90年代ロンドンでのブリットポッ
プなる音楽シーンについて教えてくれる映画でした。いや、しかし、面白かったなあ。先の二
大バンドにブームが収束されて、ドカンとタイマン張ったと同時に、何もかもが塵と化すとい
う、なんともドラマチックな展開。これが実話だというんだから素晴らしい。で、「スクール・
オブ・ロック」の項でも似たようなこと書いた気がしますが、低所得者層の代表を自負するオ
アシスVS中産階級の出自を何となく肯定するブラーという、結局は下流対中流の諍いになっ
てしまうところ、ここがポイントでしょうね。上流は決してこういう土俵に上がることはない。
オリンポスから下界を見下ろすようなものでしょうか。下の人間もまあ、何をやるにも資本が
必要ですから、自分にかかるような唾は天に向かって吐きませんわな。というわけで仮想敵は
中流の連中になると。音楽家というのも因果な商売です。気になったのが、当時のヒットチャ
ートを賑わせたミュージシャンの今の顔付きが、まるで精気を搾り尽くされたかのような、温
泉旅館の広間に置かれたマッサージチェアに沈み込んだ浴衣客のような、地獄の禁断症状をく
ぐり抜けて薬物依存症から更生したかのような、アクをスッキリ抜き取られた表情をしている
点です。ブームとは中毒症状であるという事実を再確認させてくれる話ですね。
(上田貴士/後厄/編集)


Vol.134 『砂と霧の家』
●政変でアメリカに亡命した元大佐が、一件の売家に目をつけます。これをリフォームして転
売し、銭を稼ごうと考えていたのですが、その持ち主だったジェニファー・コネリーが徹底抗
戦を開始するというお話です。コメディにもなり得る題材ですが、これは悲劇でした。そもそ
も、このコネリーがちょっとクセモノでして、税金を払わなかったために家を差し押さえられ
てしまったわけなんですが、夫と別居したショックで引きこもっていた
ので再三再四の督促状を見落としたとか言って、本質的にどこかだらしない感じの女です。一
方大佐の方も、国が倒れる前には秘密警察の幹部だったようで、やたらと気の短い男です。ど
うせ反政府分子を拷問にかけては、高いお給金いただいて豪華に暮らしていたに違いありませ
ん。どちらに対してもなんの同情心も湧かないので、勝手に喧嘩せいやとたるんだ気持ちで観
ていたんですが、ここにコネリーに同情した(ロケットオッパイに目がくらんだことぐらい、
こちとらお見通し)警官が現れてから、俄然話が面白くなってきます。
いきなり女房子供を捨ててなにを張り切ってんだか、「わしが一肌脱いだる!」としゃしゃり
出てきたおかげで、サラリーマン雑誌や新聞家庭欄の「法律相談Q&A」程度のトラブルが、
ついには人死にの事態にまで発展してしまうのでありました。俺に任せろとか言って、頼まれ
てもいないのに横から首つっこんでくるような輩が、世の中をややこしくしているのだという
ことですね。あなたのまわりにもいるでしょ。人が集まって問題解決に頭を悩ましていると、
ちょっと離れたところから、本人は革新的な助言をたれてるつもりで実はただの無責任なにぎ
やかしをかけてくるようなイライラする人物が。「俺だったらこうするね」。あー、はいはい。
自分は切れ者だと思っている奴、知恵の塊だと自負している奴、頭脳明晰だと確信している奴。
ああいう自信は、心の中の、一体どういう部分から生まれてくるのでしょうかね。
(上田貴士/後厄/編集)


Vol.135 『菊花の香り 世界でいちばん愛されたひと』
●毎度、自分だけの勝手な思い込みと曲解を、さも普遍的真理のような顔をして好い気になっ
てるこのコーナーですが、今回は本当に独り善がりな反目に過ぎないと分っていることをお断
りしたうえで、それでも書いてしまいましょう。この主人公の男(あくまでも劇中のキャラク
ターが、ですが)、もんのすごく気持ち悪くないですか? 何故でしょうか、似たような性格
のキャラは他にも見てきたはずなのに。女性の方は、これ、オッケーなんですかね? お話自
体は「棚から牡丹餅」と「虚仮の一念」を合わせたようなメロドラマです。大学生の男の子が
世話になっている先輩の彼女に惚れてしまい、一度は身を引くも、その先輩が事故死したため、
長期戦のアタックを開始します。その手口が薄気味悪いんですよ。彼女がヨーグルト好きだと
知って、あたりの店から買い占めては、玄関先に山積みにするというシーンがあるのですが、
これについては大して面白くもないのでとやかく言う気はありません。気になるのは、彼はラ
ジオ局のプロデューサーなんですが、引きこもりになっているヒロインを立ち直らせようと、
リスナーのふりをしてハガキに詩を書いては自分の番組への投書の中に紛れ込ませ、毎回番組
内でそれと知らないDJに朗読させているという、そこです。女の顔色を窺いながらオズオズと
包囲網を狭めてくる、この粘菌類のような性格の不気味なこと。これがロマンチックだと陶酔
してシナリオを書いてる作者の、その暗い情熱が怖い。片想いの女の子といつかデートをする
ときのために、電話をかけることはせずに、雑誌のデートコース特集を何年間もスクラップし
続けるような。相手の女がそれでもなびかなかったら、この男はどうする気なんでしょうか。
まあ、映画では無事彼女も振り向いてくれて結婚にまでこぎ着けるのですが、したらしたで、
ソファーの上で調子こいて戯れついてるその姿がまた、なあんかこっ腹立つんですけどね。ど
こまでいっても合わんな、この男とは。
(上田貴士/編集)


Vol.136 『ニュースの天才』
●ニュース記事を捏造した記者の物語です。実話ですが本人の話が聞けていないようなので、
動機については深く描けていません。結果として見どころは、嘘がバレては更に嘘をつき続け
て追いつめられていく主人公の四苦八苦ぶりということになっています。他人が身から出た錆
で不幸になる姿って、やっぱり面白いですね。世の中には話をついつい大袈裟に吹聴してしま
う人がいますが、彼もその一人で、編集会議でハッカー少年のネタを面白おかしく披露したの
が失敗のもとでした。実は多少オーバーに脚色したどころか、5W1Hの全てがデタラメとい
う大法螺だったのです。仲間内で聞かせる分には「お前それ、作りだろ」のツッコミで済むも
んですが、政界で読まれているような雑誌に執筆するとはどういう神経の持ち主なのか。時に
世の中には桁外れの馬鹿が存在するものです。ちょっと考えれば、というか考えるまでもなく、
すぐにバレるコトぐらい分りそうなもんなんですが、その瞬間、頭の中で何かの配線が切り替
わっていたんでしょうね。悪いことをするときに私たちは、バレそうな状況をあれこれ想定し
ては「ん、大丈夫。ん、大丈夫」と確認しながら、騙したり隠したりチョロマカしたりするわ
けですが、その根拠が「大丈夫、見つかりっこない」という確信から発生するという本末転倒
した論理展開なので、どうしたって偏向した予測と甘い見積もりに終始してしまい、あっさり
他人に見抜かれてしまっては「なんであんなことしちゃったんだろう」と頭を抱えるハメに陥
るわけです。どうしてその時は、バレないと思い込めたのか。自分で自分が理解できません。
この映画はマスコミ関係者よりも、心理学を研究している人の方が楽しめる作品と言えるでし
ょう。さあ、浮気中のあなた、帳簿の穴埋めに必死のあなた、カツアゲのつもりがうっかり殺
しちゃって逃亡中のあなた。悪事が露見する時の、あの、喉元を締めつけられるような頭の芯
の凍る感覚を、もう一度、一緒に思い起こそうじゃありませんか。そして今度もまた心に誓い
ましょう。もう二度と嘘はつかない、と。
(上田貴士/編集)


Vol.137 『ターミナル』
●「ガタカ」や「トゥルーマン・ショー」で“白の偽善”を語ったアンドリュー・ニコルが原
案者としてクレジットされていたので、おやっと思って観てみれば、どこまで意見が反映され
ているものかは判りませんが、なるほどちょっと皮肉な内容の映画でありました。東欧の小国
からJFK国際空港にやって来たトム・ハンクスが、法律の裂け目に落ち込んで出られなくなっ
てしまうストーリーです。フランスにも同じように空港で暮らしている男がいるらしく、その
人に原作料を払ったとかいうわりには全く違う内容なのですが、それはまあ、あとで告訴され
るのを防ぐために口止め料を払っただけというのが真相でしょう。さて、所持していたパスポ
ートが実質的に一時無効となってしまったため、合衆国への入国が不可能となってしまった彼。
官僚主義とサディズムが半々の警備主任は、ゲートの向こうはアメリカだから、そこを超える
ことはまかりならん、と宣告します。ほう、じゃゲートのこっち側、空港内はアメリカではな
いわけですな。ここは何? アメリカを含めた「世界」ということですかな。その「世界」を
裏で支えているのは、職員も店員も作業員もみんな非アメリカ白人でしたよ。その連中を顎で
使って、勝手に俺様の帝国だと君臨しているのは誰? “英語”様ですね。英語が喋れないよ
うな田舎者はアメリカに来るんじゃねえと、相手にしている時間はねえと、そういうことか、
お前? ああ、思い出しますねえ。生まれて初めての海外経験で、ベラベラベラベラ英語をま
くし立てられて、自分は日本を一歩出れば何の役にも立たない能無しだという事実にブチ当た
ったときの、あの底知れない無力感。この地球では、他に何語が喋れようとも、先ず英語を操
れないと人として扱ってもらえないのだ、という非情のライセンスについて気付かされる作品
なのでした。あと、もうひとつ、生活がかかれば語学は身に付く、という教訓もありました。
趣味の語学は何百万年やってもウサギが儲かるだけ、ということですね。ちなみに劇中で、永
く不倫を続けた挙げ句に、人生が二進も三進も行かなくなった中年女が登場しますが、このド
ン詰まり感が妙にリアルでした。悪いことは言いませんから、不倫は早めに辞めた方が得策で
すよ。
(上田貴士/編集)

Vol.138 『珈琲時光〈こーひーじこう〉』
●だらしのない映画でした。そもそも、この監督さんって、写しているモノにあまり責任を取
らないところがありますよね。シーンが変わるたびに、いつ、どこで、誰が映っているのかサ
ッパリ判らない、とか。人が固まって身動きしないので、誰が台詞を言っているのかサッパリ
判らない、とか。フレームの外にいる人間と延々会話して、カメラを切り返さないので、結局
会話の相手が誰だったのかサッパリ判らない、とか。今回も、謎の童話とか、産みの母親の思
い出とか、昔の音楽家とか、話のフリばかり。天麩羅屋の若旦那は、この話に何の関係がある
んでしょうか。もう、何もかもがほったらかしの中途半端です。で、その中途半端さ加減は、
登場人物にもよく練り込まれていまして、妊娠しているヒロインは「自分で何とかするから」
とか言うわりには、出産準備はおろか産婦人科にすら行ってない様子だし、ライフワークと思
しき音楽家の調査は「さあ、ウチじゃわからんねぇ」「そうですか」というやる気の無さ。演
じる一青窈は、怠惰と現実逃避と無気力を混ぜ合わせた、人型に固めたワラビモチのような佇
まいが絶品です。きっとあの、一目見ただけで吐き気を催すほどに汚らしい箸の持ち方も、表
現者としての彼女の方法論なのでしょう。両親、特に父親は、親として何か言うべきこともあ
るだろうに、何考えてんだか不明の(恐らく何も考えていない)表情で下向いて、これまた小
林稔侍がバッチリ決めてます。小津安二郎云々はさておき、今の日本人のある種の傾向に対す
る、監督のこの観察眼は素晴らしいと言えますね。授業中、先生に当てられても、目を合わせ
ずにジッと黙っている中学生みたいに、きっと誰か何かが、今をこの先をどうにかしてくれる
と、どんよりと毎日を送る私たちの現在を、監督はキッチリ見抜いていたわけです。そういう
テーマを含めての、だらしのない映画なのでした。
(上田貴士/編集/後厄)


Vol.139 『インストール』
●原作は読んでいませんが、あらましは知っていたので、17歳の娘のリアルだかなんだか知ん
ねえ繰り言に付きあわされるのかと諦めていました。ところが観て拍子抜け。作り手の男たち
の熱意は、女子高生よりも、小学生の男の子の方に注がれていましたね。上戸彩をほったらか
しにしているわけではありませんが、結局のところは、ちょっと憧れちゃうお姉さん、程度で
しかない。これ、本気で女子高生をどうにかしようという映画ならば、
エロチャットで精神汚染(お懐かし)される場面が白眉となるはずなのですが、それこそ舌舐
りするかのごとき熱意というものがサッパリ見受けられない。そこではなくて、押し入れの中
の甘酢っぱいシーンばかりに耽っている。「少年時代にいっとき過ごした、近所のお姉さんと
のときめく思い出」というのが、この映画の真のテーマのようです。どうしてこういうことに
なってしまうのか。そりゃもうあなた、年上のお姉さんと少年という組み合わせを目にした途
端に、男心のエロマンチックな妄想が無条件に走り出すからですね。原作も何も関係あるかい。
二人だけのシーンを撮影しているときはスタッフ全員脳内麻薬出っぱなし、ああいつまでも見
続けていたい……。そんな状態だったのではないでしょうか。男族には、相手の女が自分より
10も20も若かろうとも、頭の中では年上のお姉さんとして見上げてしまう習性がある。だから
実体験があろうとなかろうと、この少年の目線に容易に感情移入できる。それって、んっごい
気持ち良い。そんな生態が思わず露見してしまった作品だと考えるわけであります。ちなみに、
少年がお姉さんのオッパイに触るのが、結果的にこの映画の山場となっていますが、あんなも
んちっとも勃起しませんよね。本当のエロならば、まずかわいい男の子がお姉さんに股間をま
さぐられてなんぼでしょう。
(上田貴士/編集/後厄)


Vol.140 『山猫(イタリア語・完全復元版)』
●綺麗にお色直しされていますが、3時間6分のイタリア語版、ということでは23年前にすでに
公開されているこの作品。大学生だった私は「貴族時代の落日を荘厳に描く」とかいうパンフ
の記事を読んでは、なるほど、確かに、ふんふん、などと納得していたのですが、中年になっ
た今になって観直すと、また別の哀感を感じたりするわけです。時代背景となるのは1860年、
イタリア統一を目指すガリバルディ将軍の千人隊がシチリアに上陸、ナポリ軍に圧勝して解放
した両シチリア王国をサルデーニャ王国に併合するまでの期間。日本では幕末の頃ですね。主
人公である、シチリアの名門サリーナ公爵家の当主が時代の趨勢に対して抱く苦い想いも、さ
しずめ、倒幕目的で西から侵入してきた無粋な田舎侍に対する江戸っ子のそれのようなものだ
ったでしょう。さて、豪快な肉体美と洗練されたダンディズムで、若い頃から妻以外のレディ
達とタレかきまくってきた公爵様でしたが、さすがに50の声を聞くようになって、精力の減退
を自覚するようになってきました。政情不穏な状況にあっても、相変わらず他所の女と一発キ
メて朝帰りしたりしてますが、ちょっと気を抜くと、青春ホルモン全開の甥にあてられたりす
る今日この頃。このワシが? 馬鹿な。まだまだ飛距離では負けんわい! と胸を張ってはみ
るものの、時代も肉体ももう取り戻せないのだということも判っている。その忸怩たる葛藤に
引導を渡したのが、甥の婚約者となった、美貌と床上手の血を母から受け継いだセックス核弾
頭のような田舎娘であったのです。この娘が公爵に一曲踊ってくれるよう懇願する場面。ここ
がクライマックスです。以前の公爵ならばおそらく、屋敷の秘密部屋にでも連れ込んでジック
リと寝取っていたことでしょう。甥が一瞬見せる不安そうな顔付きが、それを物語っています。
しかし、公爵は明らかに怯えの表情を浮かべて、尻込みしてしまう。結果的には踊ることにな
るのだけれど、そこにはもはや、一片の情熱も野望も精気も見られない。恐らく、もう、勃た
ない。ラスト、茫洋とした面持ちで一人夜道を歩く公爵の姿が、実に印象的です。車が来ても、
多分よけませんね、この人。俺、何となく判る、それ。何かもう、なんもかんもどうでも良く
なるときがあるもんね。この映画は、更年期障害による軽い鬱病にかかっていく中高年男性の
姿をいち早く描いた歴史的作品なのです。
(上田貴士/編集/後厄)



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