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Vol.151 〜 Vol.160
Vol.151 『イン・ザ・プール』
●精神科医・伊良部先生のお話です。無能と思わせて実は凄腕という、“馬鹿殿もの”の一種
だろうと考えていたのですが、それらしい場面はついぞ登場せず、一応患者は治癒するのです
が、ただの結果オーライという、振り返るとなんだかよくわからないストーリーでした。結論
としては「人生、スーダラ節に生きるのが一番」ということであってますか。ま、結構笑えた
からいいか。ただ個人的に笑い事じゃなかったのが、患者のオダギリジョーが離婚した妻と再
会する場面でした。離婚の原因は妻の不倫で、その相手とサッサと結婚して妊娠中でもある彼
女は、未だに独身の元夫に対し「ちょっとガッカリだなあ。アタシばかり幸せになって心苦し
いので、アナタにも早く幸せになって欲しいのよねェ」と、無自覚に高い位置から余裕の言葉
を吐きかけます。あー、やはり妻の不倫が原因で離婚した私も、その昔、全くおんなじこと言
われましたよ。こういう形で再現されると、ちょっと感動しますね。同じ状況の女性は、みな
このセリフを吐くもんなんでしょうかね? これ一つの不思議。特に私の場合は、更にその二
カ月後に「元気?」とかいうメッセージを貰いました。それも、恐らく恋人とドライブに行っ
た先で撮ってもらったのであろう写真をプリントしたハガキで。流石にこのときには、「ア、
コノ女、チョット頭ガオカシイノカモ……」と首筋が冷たくなるのを感じましたが。それでも、
全部ひっくるめて、今では良い思い出です。なんか、書いてるうちに、またひとつ体が軽くな
ったような気がするな。伊良部先生ぇ、ぅありがとおおお! テレビドラマの方も観たよ!
(上田貴士/後厄/編集)
Vol.152 『宇宙戦争』
●物凄く派手なのに恐ろしく地味な作品です。「逃げ回る一市民の視点を貫く」と公言された
演出プラン通り、宇宙人軍団対米軍の全体像は観客に知らされません。そのため、そこが否定
派の根拠となるのでしょうが、ヒーローや秘密兵器が奇跡の大逆転を起こすような、ドラマチ
ックな爽快感というものには全く無縁です。その代わりに、家の近所がいきなり有事に巻き込
まれたらあんたどうする? という、どこの国に住んでいようともはや100%絵空事ではなく
なった質問が突きつけられる形になっています。それにしても気になったのは、とにかく惨劇
の現場を娘に見せまいと努力する父親の行動。あれだけ何度も繰り返されると、ああいう現場
を目にすると子供の心は狂ってしまうのだな、と嫌でも理解させられますね。死のイメージを
子供の目に触れさせるな、と言いたいのでしょう。そのくせこんな映画を作っているわけです
が。さらに、絶対見るなよと娘に言い聞かせて、その隣で錯乱したティム・ロビンスをブチ殺
すあの名場面。娘のために人殺し。例えば家族のために安楽死。人間の正邪なんて、幾らでも
言い訳ができるということですね。さて、取りあえず戦争は終わりましたが、父親の奮闘虚し
く、娘はすっかりおかしくなってしまいました。この子に限らず、全員がこの先長い長いスト
レスの後遺症に苦しまなければなりません。が、もっと重大な問題は、自分たちの足下にはあ
とどれだけの殺人兵器が埋め込まれているのか、全土を掘り返しても安心しきれない、永遠無
限の疑心暗鬼に人類はとらわれてしまったということです。いつ来るか、いつ来るか、今日来
るか明日来るか。来ないと思ったらやっぱり来た。戦争にルールなんぞ関係あるかいと、血の
バランスシートを無視するような連中との攻防に、明確な終焉は来ないでしょう。互いに神経
をすり減らして消耗するだけの無間道に誰もがはまりこんでしまった。そういう映画です。
(上田貴士/編集/後厄)
Vol.153 『HINOKIO』
●母親の事故死がきっかけで引きこもりになってしまった小学生。何とか外の世界に目を向け
させようと考えた父親は、学校生活を疑似体験させるべく、自分が開発した遠隔操作ロボット
を息子に与えます。そんなやり方で引きこもりが治るのか? その点については専門家の意見
を聞いてみるとして、それよりなにより、あんなロボットが白昼堂々と町内をヒョコヒョコ歩
いてたら、世界中で大騒ぎになるっつうの。夜歩いてたらもっと怖いけどな。つまりはチビッ
コ映画ってことです。なので子供が何人か登場するのですが、性同一障害かと思わせる女の子
とか、ネットゲームにはまって人格崩壊しかける男の子とか、自分に言い寄る中学生を手玉に
とる小学女子=小学女子に言い寄る中学男子とか、しまいにゃ「私も昔引きこもりでした」と
不意に告白する30女とか、なんかもう、軸のずれた人間ばかり出てきます。そこで注目すべき
なのが、やがてHINOKIOの親友となるトムボーイな女の子です。劇中の言葉によれば:1)父
親に死なれた彼女は、何故か母親の手元を離れて伯父の家に預けられていた。2)伯母(伯父
の妻)は「お前の体は穢れている!」と彼女を罵った。3)以来彼女は、男の子のように振舞
い始めた。これは一体何事でしょうか。「キャリー」の狂信的な母親のように、初潮を迎えた
姪を堕落した女だと決めつけたのか、さもなければ、「羊たちの沈黙」のように、彼女は伯父
の慰みものになったか。恐らく後者でしょう。今や、子供のドラマを作るときには、必ず子供
はどこか狂いかけていなければならないようです。しかし、こういう設定を考えておきながら、
この映画では性虐待をテーマとはしない。しなくても良いが、傷負いの子供同士が出会う話を
書きながらも、その関係性やドラマの中に滲み出るような演出を仕掛けるでもない。単なるそ
の場限り、悪い言い方をすれば面白半分でしかない。そういう「なんちゃって」な姿勢が、な
んとなく勿体ないし、気分悪いわけです。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.154 『ハービー 機械じかけのキューピッド』
●導入部は「クリスティーン」みたいな展開でした。80年代前半のヒットソングばかりが流れ
るのも、それがためでしょうか。それにしても、女心を呆れるくらいに型通りに皮肉った映画
です。自意識を持った自動車のハービーと仲良しになったヒロインは、イヤミなレースチャン
ピオンを負かします。ところが、二人の心は通じ合えたと思えたのに、チャンプがとびきりゴ
ージャスなレーシングカーを持ってきて「乗ってみるかい?」と囁けば、たちまちヒロインは
その車にメロメロ。ハービーのことなんか頭の中から吹き飛んで、ついさっきまで敵だった男
の持ち物であることも関係なし。女性には、車を前にして、乗せてもらいたがる人と乗りたが
る人の2種類あるそうですが(実際は、乗れたらそりゃいいけど駄目なら駄目でまあ別に、と
か言いながら横目でチラチラ見ているタイプが大多数でしょうか)、この子のまあ「乗る!
絶対乗る!」と大興奮する姿のあからさまなこと。やっぱ車は、でかいエンジンに太いシリン
ダー、パワフルな排気量にビンビンのバッテリーが一番。シートに深く腰を沈めて、ハンドル
握ってレバー掴んで、汗まみれでフカしてマワしてアクセルクラッチポンピング。とまあ、雨
上がりの夜空に発車したくてたまらない、若い衝動を素敵に描いた映画なのでした。え? わ
たし? 原付きすら運転できません。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.155 『妖怪大戦争』
●オリジナルが公開されたとき、特別付録で分厚く膨らんだ「ぼくらマガジン」を父親にせが
んで買ってもらったのを思い出しながら観てみれば、あらびっくり、実は「新・帝都大戦」で
した。外敵の襲来ではなく内戦の話ですね。妖怪が機械と合体する(そもそも妖怪が死や痛み
を怖がるのは正しいのか?)というセンスが、私には理解できませんが、まとにかくそういう
軍団を率いて怨敵・加藤は日本国の破壊をまたも試みます。これではいかんと集まった、ぬら
りひょん以下の妖怪首脳陣は、しばし熟考の末、「やっぱあかんわ。やめよ」と即決。「妖怪
は頑張らないんです」と水木先生は笑顔でおっしゃいますが、普段は金融関係でバイトもして
いる河童娘と神木隆之介くんが東京で奮戦していると、なにかの祭りと勘違いした妖怪どもは、
「面白そうだから行ってみんべ」と日本全国津々浦々から結集するのでした。国土を守らない
かん時にはほったらかしで、イベントならニッポンコールなのか。付和雷同から済し崩しに戦
い始めるわけか。始まったところで、特に戦略戦術があるでもなく、ただ何となくワーワーや
ってるだけで、誰かがどこかで何かの秘密兵器を使って大逆転してくれるだろうと、なんとな
く自陣でボールをパス回しするだけです。結果的には小豆洗いの小豆一粒で辛勝するのでした
が、それにしたって偶然の勝利であって、そもそも人間に説教するのが妖怪の務めのくせに、
小豆の効力について当の妖怪が把握していない。自分の日本人根性のある一面を痛烈に皮肉ら
れているようで、観ていて頭を掻くことしきりの映画でした。「戦争はいけません。腹が減る
だけです」。水木先生のおっしゃる通りなんですが、実際に敵が上陸してきたらどうすりゃい
いんですか。そもそも先生、タイトルに「戦争」って入ってます。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.156 『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』
●上位自我を発達させなかったために、我欲に溺れてしまったアナキン。弟子が思わずひれ伏
すぐらいの度量を持つことは適わなかったオビ=ワン。まともに職務を果たしていたとは思え
ないパドメ。丸め込まれた元老院。二言目には予感がすると言うばかりで、結局予感だけのジ
ェダイ騎士団。自分の不幸は自分に責任があるのだという教訓話でした。ところで個人的に最
大の関心事は、アナキンの父親に関する真相だったのですが、お分かりのようにシディアスの
マスターが悪のフォースでシミ・スカイウォーカーを生き返らせ、ついでに受胎させたという
ことでした。悪くないアイデアだと思います。それだけの大仕事、その辺の死体を拾ってきた
わけではないでしょうから、そのマスターと彼女の間には個人的な因縁があったのでしょう。
むしろ生き返らせるために、シスに転んだ人物かもしれない。そして産まれてくる子供を自分
の弟子にして、二人でジェダイを滅ぼそうと計画したことは想像に難くない。アナキンの行動
との二重写しで、スカイウォーカー家の呪われた血筋が浮き彫りになる構造です。シスは二人
制だそうですから、やがてお払い箱になると悟ったシディアスが、師匠の寝首をかいたという
のも理解できる話です。だのに、監督はその点について指摘されると、「あれは一種のメタフ
ァーだから」とか答えてるそうですね。監督の計画では、自分からシナリオの裏に隠された深
い設定をほのめかすつもりが、アッサリと先に言い当てられたのでうろたえたのでしょう。ん
なもん、誰が観たってそのまんまだって。仮に本当にメタファーのつもりで書いたのだとして
も、何のメタファーなんだ。そもそもあれのどこがメタファーなのか。誤字脱字がひどいとか
評伝にも書かれていた監督の、ライターとしての資質が何となくわかる一件でした。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.157 『マダガスカル』
●死ぬまで言い続けるつもりでいますが、ディズニーの「ライオン・キング」、何ですかあり
ゃ? シマウマがライオンを王と仰ぎ、世継ぎが生まれたら祝福する。じゃあそこの物語世界
内では弱肉強食には触れないのかと思いきや、シマウマを食うライオンもやがて死んで土に還
る「サークル・オブ・ライフ」がテーマだと言う。背反する二つの世界観を、なんの考えもな
しに一つにする、あの厚顔無恥さには呆れるばかりです。そこへきてこの「マダガスカル」。
「シュレック」が公開されたときも、そのアンチ・ディズニーの精神が話題となりましたが、
同じくドリームワークスが世に問うこの作品も、反「ライオン・キング」の立場を取っていて、
誠に興味深いものがありました。ニューヨークの動物園に生まれ育ったシマウマとライオンは
大の仲良し。片や草、片や肉、と食べるものがまるで違うのは何故か、なんてなことには全く
気付いておりませんでしたが、いろいろあってマダガスカル島の大自然に包まれたとき、2頭
はお互いがどういう役割を担ってこの世に創造されたのか、その真実を身をもって知ることに
なるわけです。なんと小粋なお話なんでしょう。おいしいステーキ肉が牛の死体から切り取ら
れていることなど知る由もない子供たちに、「スローライフだあ? じゃてめえ、野糞したあ
と紙使わずにケツ拭けんのかよ」とどら声で説教する、税金も払わずに世界を放浪している自
称冒険家の謎のおじさんみたいな映画ですね。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.158 『チャーリーとチョコレート工場』
●前作「ビッグ・フィッシュ」ではなにかと「丸くなった」と評されたティム・バートンです
が、今回も似たような内容でした。今のティム・バートンが昔のティム・バートンに説教かま
しているような肌触りです。しかし、三つ子の魂百までと申しましょうか、底意地の悪さはま
だ衰えてはいないようです。まず物語の主人公である、貧乏だけど心の優しいチャーリー少年。
この子はちっとも良い子なんかじゃありません。一緒にチョコレート工場を見学する他のチビ
ッコたちは、確かにみんな性格は最悪で、チケットを入手する方法も子供らしさのないイヤら
しい手口ばかりですが、でも法は犯していない。ところがどうだチャーリーは、拾った金を使
い込んでるじゃないか。良い子なら警察に届けるはずです。神様の思し召しだというのなら、
何故お爺さんがなけなしの金で買ってくれた時に大当たりにしなかったのか。こういう、可愛
い顔して、無自覚に小さくチョロマカすような奴が、一番始末におえないんだ。しかし、やは
りこの映画最大のイチビリは、こまっしゃくれた糞餓鬼どもを徹底的に粉砕する暴力性であり
ましょう。登場する子供は一様に、世間をなめきって、相手の足元を見て強欲のままに我を通
し、なにより大人顔負けの交渉術を備えている。その後ろに付き従うのは、エージェントを気
取りながらも実際は子供のおこぼれにあずかろうという親たち。これはそのまま、なんか一発
ぶん殴りたくなるような小憎らしい子役とそのステージママの姿に重なっています。創作とい
う名分の下、積年の恨み辛みを晴らすかのように、監督は次々に子役を血祭りにあげていくわ
けですが、しかしその演出のためには、その子が本当に演技の巧い子役でなければ効果はなく、
わざわざ時間をかけて使える子役を探し出しておきながら、その巧さがまた妙に癪に触って更
に殴りたくなる……、そんな悪意のスパイラル構造を持った、ちょっとタチの悪い作品なので
した。でかいリスって、気持ち悪ぃな。
(上田貴士/編集/中年)
Vol.159 『TAKESHIS'』
●ビートたけしがたけしと邂逅して起きるスパイラル構造の妄想劇、との触れ込みでしたが、
実際観ると内容が違いました。50過ぎて芸能界のビッグマンたるたけしと、同じ歳で全く目が
出ないたけし。二人が遭遇するのは1回きりで、しかも映画のほとんどの時間は、売れないた
けしに費やされています。でありますから、ここでの売れてるたけしの存在というのは、「も
うひとりのオイラがこの映画の主人公」であることを判らせるためのカタパルトにすぎないわ
けです。スパイラルなんて関係なし。では、そのもう一人のたけしとは何を意味するのか。こ
れはもう、現実の北野武が自分の来た道を振り返って思う「漫才ブームでもし売れていなけれ
ば、きっと今頃はこうなってる」自分の姿です。そういうことしみじみ考えるってのは、人生
に段落を感じてしまって、もう先を急ぐ気にもならないってことでしょう。それにしても気に
なるのは、映画の中での売れないたけしを突き動かしている衝動の実態です。状況に対する鬱
屈が溜まったたけしは、拳銃を手に入れ、遂に行動を開始します。「ビデオドローム」の癌銃
よろしく打ちまくるのかと期待もし、恐らく昔の北野映画であるならば、自分の障害となる連
中を次々に射殺していったことでしょうが、あろうことか銃は全くの不発で、たけしは更にス
トレスを発生させていくのでした。ここまでの人間に成り上がりながらも、ここに来て何か思
い通りに物事が転がらなくなった歯がゆさ。解決の糸口が見つけ出せない、言い様のない精神
の膨満感。そういう監督個人の不穏な心理が感じられる、どこか危うい個人映画なのでした。
昔「マルタイの女」で津川雅彦の拳銃自殺シーンだけが異様に浮き上がっているのを不思議に
感じていたら、公開後すぐに監督が飛び降り自殺して驚いたことを思い出します。不安だなあ。
(上田貴士/編集/中年)