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Vol.81 〜 Vol.90
Vol.81 『ソラリス』
●女房に先立たれて、独りで生きていたって無意味だと思い詰めていた男が、妻と再会して、
も、幽霊でも何でもいいや一緒にいられるなら、って話です。連れ合いを亡くして悲嘆に暮れ
てる人や、「ワタシが死んだら悲しい?」「すぐに後を追うよ」などとイチャついている人た
ちに観に来て欲しいんでしょう。ジョージ・クルーニーは、目元が私好み(一目惚れするタイ
プの女性は、必ずこの目。但し、つき合えた試しなし)のナターシャ・マケルホーンを口説き
落として結婚します。それなのに、彼女が自分に黙って堕胎したことに逆上し、行かないでと
頼むその手を払いのけて家を飛びだしてしまいました。おおかた、バーで一杯引っかけてほと
ぼりが冷めてから、家に戻るつもりだったんでしょうが、表に出た直後に自殺されてしまい、
ショックで立ち直れません。塩の小瓶の中ぶたは、無くなって初めてその有難みが判るという
教訓です。だがなクルーニー、お前さん、女房の哀願をすげなく拒否する瞬間、ちょっとぐら
い気持ち良かったりしなかったか? 特に根拠はないが、男族って、すがりつく女を邪険に扱
うときに、無意味に男冥利な快感を感じたりしないか。たまに読み違えて、相手が何の反応も
示さなかったり、ならもうええわって見切られると、たちまち弱気になったりした経験はない
か。どう? という具合に、女との駆け引きにしくじると、手痛いダメージを被るという一例
が、ここに描かれているわけなんですね。
(上田貴士/編集/本厄/男性)
Vol.82 『めぐりあう時間たち』
●三つの時代の女性の物語。20年代のバージニア・ウルフ、50年代の主婦、21世紀のシングル
マザー。女性性と社会の関係の変遷が実感できて興味深い構成ですが、しかしどの時代の女性
も、ちっとも幸せそうじゃありません。何をやっても自分の人生に釈然としない、憂鬱そうな
顔をしています。それは彼女達が一様に、本を読み考え事をする習慣を持ってしまったからで
しょう。読書の習慣を持たない人間の顔を見てみなさい。馬鹿丸出し。ストレスなんかかけら
もないぞ。人生は、ああでなくっちゃね。さて、この3人を結びつけているのが、ウルフの書
いた「ダロウェイ夫人」なわけですが、ハッキリ言って、彼女達はこの本の呪いにかかってい
ます。ウルフの強烈な自意識が一字一句に擦り込まれ、時代を越え、国を越えて、同調した女
性の精神を乱していくのです。恐らく被害者は、英語圏だけでもっと存在しているはずだと推
測されますが、まあ、それぐらい自我が強烈でないと、超一流の芸術家とは言えますまい。自
殺した作家の本を読むときには、それ相応の覚悟が必要かも知れませんね。ところで、ここま
で読んできたアナタ。よく似た話を連想しませんか。我々日本人には特になじみの深い。怨念
の込められたビデオテープが、次々と呪いを伝播していく、あれなんですが。
(上田貴士/編集/四十郎/男性)
Vol.83 『ブロンドと柩〈ひつぎ〉の謎』
●『市民ケーン』のモデルとなった、新聞王ハーストによる殺人疑惑の映画化です。初老のハ
ーストには心底惚れ抜いた女優の愛人がおりまして、この女をチャップリンが執拗に口説いて
いたため、かねてから心中穏やかではありませんでした。ハリウッド・バビロンの狂躁を垣間
見せることがこの映画の目的でもあるわけですが、心に残るのは、チャップリンと頬寄せ合う
愛人に激しく嫉妬し、しかし歳の差を考えると大人げない振る舞いもできず、必死で感情を抑
圧しようとする老人の恋地獄であります。老境の恋は苦しそうです。「いつまでも恋する自分
でいたい」なんぞ、ガキの戯言だとしか思えませんね。「いくつになっても恋に生きるワタシ」
って、アンタの若い恋人はババアの口臭に内心辟易していないと言い切れるのかよ。ちなみに、
愛人の名誉のために申し上げれば、彼女はチャップリンとはけじめをつけており、本心からハ
ーストを慈しんでいたようです。であっても他の男と無邪気に密着してしまうあたりに、若さ
故の毒素が滲み出ているということでしょうか。
(上田貴士/本厄/編集)
VOL.84 『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌〈レクイエム〉』
●前作ではそんな雰囲気など全く見受けられなかったのに、どうしたわけか、かなり露骨に反
米感情をむき出しにした内容でした。しかし、なにか外枠と中枠の糊代がズレているような気
がしますね。七原がテロ活動に身を投じた直接の理由は、BR法を施行した日本国政府に報復
することであったはずですが(しかしなあ、18にもなって、単に年齢を尺度に「大人は」「大
人は」とほざくような、うすらみっともない真似はやめた方がいいぞ。俺もお前らと同じ、一
人前の大人だ! という気概が何故持てないのか)、それがどうしてまた、米国の肝いりでB
R法が制定されたわけでもないのに、白人皆殺しなどという論調になるのかがサッパリ判らな
い。おそらくテロリストのキャンプで訓練を受けているときに植え付けられた思想なのでしょ
う。だから放つ言葉がキャッチフレーズのようで、切迫感が無い。今まで何ら民族・宗教・思
想的に弾圧されたこともなく、平和にノンポリに生きてきた極東のボケガキが、付け焼き刃で
米国打倒を叫んでも、中東あたりの筋金入りのテロリストたちが真の同志として認めてくれる
もんなんでしょうか。どうも、アメリカとの代理戦争の陽動に利用されている捨て駒なんじゃ
ないか、などと疑ってしまうわけです。果たして、日本人は、私は、あなたは、いざとなった
時に、本物のテロリストになれるんでしょうか。自分の国を、ルーツを守るために、命を張る
覚悟が持てるんでしょうか。あなた、そういう大きなもののために戦える? 私にはとても自
信がありません。
(上田貴士/本厄/編集)
Vol.85 『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』
●ははあ、確かに楽しいや。笑うとかウケるというよりも、なあんか楽しいって感じでした。
ギリシャ系アメリカ人の女性に白人の恋人が出来て結婚するまでのお話です。大家族精神をネ
タにした笑いは見慣れたものばかりなんですが、しかしこれを観て安直に、日本人の親戚関係
にも通じる云々とかのたまわる輩がいたら、そいつは少しお門違いだと思って良いでしょう。
同じ親族血縁がワイワイやっていても、彼らと私たちの間には決定的な違いがあるように思え
てなりません。あの人たちには自分の人種、民族、文化、血脈に対する誇りと責任と自律の精
神がある。私たちには、何と言われようとも譲れない、民族の意地のようなものが何か残って
いるのでしょうか。ついそんなことを考えさせられたのでしたが、しかし、この映画の本当に
危険な毒は、家族が集まって楽しそうにスッタモンダする他愛ない場面にある様な気がします
ねえ。話を聞いてくれる人もなく、狭い部屋の中に黒い自我の澱を沈殿させて生きている人が
映画館の孤独な暗闇の中でこんなものを観たら、死ぬ気になっても不思議はないかもなあ。
(上田貴士/本厄/編集)
Vol.86 『エデンより彼方に』
●50年代に急増した郊外人種の偽善を暴くストーリーですが、昼帯連続ドラマの総集編のよう
な勢いで次々とトラブルが起こります。黒人差別、ご町内ゴシップ、同性愛、アルコール依存
症、離婚、よろめき……。目を引くのが、黒人の召使いなら何十人いようとも意に介さない白
人が、大学卒でネクタイを締めた黒人が独り立っているだけでたちまち恐慌に襲われるという
状況です。人種差別というのは、厳密には階級差別であるということが良く判りますね。とこ
ろで、主人公の夫妻には二人の子供がいるんですが、特にこの子達に注目していただきたい。
両親の関心を求めて一生懸命に自己を主張する彼らに対し、当の親はどういう態度を取るのか。
「あとで」「ダメよ」「行きなさい」「寝なさい」「関係ないの」「うるさい」とことごとく
蹴り返す。そりゃそうでしょう。親自身が自分の人生に精一杯なんですから、子供に構ってい
られる余裕なんかあるわけがない。そうやって育てられた子供が10年後の60年代後半にティー
ンとなり、セックス・ドラッグ・ロックンロールで全ての親世代・全ての体制・全ての良識に
ファック・オフとか言い出したわけです。その時になって初老の親達は「天使のような我が子
が何故!」と狼狽えても、まあ後の祭りですわな。親の因果が子に報い。昔の人は上手いこと
言ったモンです。カウンターカルチャーの萠芽とモラル大崩壊の予兆を垣間見せてくれる、ア
メリカ近代史を専攻しようという学生さんにとって値打のある一本。小さい子を持つ親御さん
も、これ観て10年後に自分たちがやり返される復讐劇に備えておいて下さいね。
(上田貴士/編集/四十郎/男性)
Vol.87 『ライフ・オブ・デヴィッド・ゲイル』
●ケヴィン・スペイシー? ケイト・ウィンスレット? いーえ、これはローラ・リニーの映
画なんです。死刑制度反対論者である大学教授のスペイシーが死刑囚になってしまうと聞かさ
れては、なにやら社会派のドラマかと想像してしまいますが、実際にはローラ・リニーの仕事
ぶりを見るべきミステリー映画なのでした。リニーの役は、スペイシーの同僚でもある、死刑
制度廃止に全身全霊で打ち込む筋金入りの活動家で、ある朝、全裸死体で発見され、その下手
人としてスペイシーが逮捕されるというわけです。スペイシーは冤罪なのか。犯行の動機は、
真犯人は? ま、そのあたりは映画で楽しんでもらうとして、リニーのパフォーマンスで白眉
なのは、運動に疲れ果てた彼女が、スペイシーの前で初めて真情を吐露する場面でしょう。
(恐らく)彼女は子供の頃から目的意識の高い優等生で、自分の信じる人権思想を実現させる
ために必死で生きてきた。なのに今の自分の境遇、これは一体なんだ。結局世の中は変えられ
ず、手に入ったのは毎晩独りで冷凍食品を食べて眠るだけの空疎な一軒家と、家族と一緒に写
った写真が飾られることなど一度もなかった、専門書の詰まった本棚だけ。信じた道を選んで、
思った通りに生きてきたはずなのに、何故こんな思いをするハメになったのか。だったら、そ
の辺のボンクラどもと同じようにタラタラと時間の無駄使いをした方が良かったというのか。
なんだこのクソ人生! と慟哭するその姿をじっくりと観てみましょう。インテリの悲劇って
やつですな。神様、真面目に生きるってどういうことなんでしょうね?
(上田貴士/本厄/編集)
Vol.88 『トーク・トゥ・ハー』 ※激しくネタばれあります
●ある女性の告白:私が体験した、世にもおぞましい話を聞いて下さい。当時、私は一流のバ
レリーナを目指して毎日レッスンに励んでいました。その時には気がつかなかったのですが、
レッスン教室の向いのアパートから、レオタード姿の私をジッと見詰める男がいたのです。そ
の男は、私の家を突き止め、何食わぬ顔をして侵入するような、無自覚なストーカーでした。
そして、私が事故で昏睡状態に陥ると、看護士として病室に張り付き、意識が無いのを良いこ
とに、私の全身に触れ、排泄物で汚れた肛門をぬぐい、経血にまみれた膣の洗浄まで実行して
いたのです。人は献身的なプロ意識と勘違いしていたようですが、私にとっては陵辱以外の何
ものでもありません。そして遂に、男は欲情した男根で私をレイプしたのでした。当然その悪
行は世間の知るところとなり、男は収監され、永遠に私の前に現れることは出来なくなりまし
た。私の意識が戻ったのはそれからです。それを男の想いが引き起こした愛の奇跡などと呑気
な涙を流す人もあると聞きますが、どこに目をつけているのでしょうか。意識はなくとも私の
心は常に男を警戒し続け、身の安全を確認したからこそ、精神の閂を外したに決まっているで
はありませんか。あんな薄気味の悪い子熊野郎に良いようにされている状況下で、意識があっ
たらとっくの昔に発狂していますよ。子供は当然、私の体が自ら流しました。イカレ男の遺伝
子を、私が後生大事に育てるとでも思っているのですか。でも、考えてみれば、どうせ奴の身
勝手な愛情ごっこから逃げられないのなら、意識を失っていた方がまだましだったのかも知れ
ませんね。もしあのまま、つきまとわれていたら、どんな目に遭っていたことでしょうか。
「キミの好きな本をあげる」「キミに似合う服を買ってきたよ」「キミの行きたいところに連
れて行ってあげる」「キミが幸せなら、僕のことはどうでもいいんだ」「これだけ尽くしてい
るのに、どうしてそんなことを言うんだ」「全部キミのためじゃないか」「俺を裏切んのか、
このアマ!」
(上田貴士/本厄/編集)
Vol.89 『キリクと魔女』
●キリクが自分の意志で母親の胎内から生まれ出たとき、村には魔女の呪いがかかっていまし
た。「なぜ魔女は呪うの?」。キリクは答えを求めて、魔女の屋敷の向こう、聖山に住む賢者
のもとへ、ものすごい速度で走って行きます。子供も含めて一般人が恐れるものを恐れず、し
かもそれが天然の行為であるというのは、ある意味“頭のネジが一本緩んだ奴”と言えるでし
ょう。で、その、魔女が呪いをかけている理由とは何であったか。彼女は元々は普通の人間だ
ったのですが、ある日、村の男たちの手で背中にトゲを刺されてしまい、以来、魔女となって
復讐していたのだそうです。トゲを刺された理由について一切触れていない以上、これは集団
に陵辱され心に傷を負った女の逆上を表しているわけです。だとすればキリクの行動は何を意
味するのか。魔女が強固に防御する自我の障壁を乗り越え、彼女の精神の奥深くに分け進み、
賢者の前に辿り着いて、全ての因果を明らかにする過程は、まるで精神分析のようです。そし
て、良識を超えた大スケール、というかタガの外れた人間性こそが、孤独な女の切り裂かれた
心に、自らを治癒し回復する力を与えたのだ、というわけです。ん? 似たような話を前に観
たぞ。情緒や情動の反応に乏しく、脇目も振らずに前へ走ることだけで、人生の裏街道でつま
づき続ける女の魂を救済した得体の知れない男の物語。そう、『フォレスト・ガンプ/一期一
会』と全く同じ話なのでした。
(上田貴士/本厄/編集)
Vol.90 『CANDY』
●「はるかなる星座の彼方より、舞い降りし性の妖精キャンディ」というのが、初公開時のキャ
ッチでした。でも、ただの「エロオヤジカタログ」ですね。パッチリ垂れ目にプルプル唇、金
髪色白ポッテリ体型のキャンディは、オシャレエッチ60年代シネマの核弾頭のように評されて
いますが、しかし驚くほどに、この娘には自意識というものが存在しません。彼女は無償の愛
を自分から与えたりしませんし、股間を分けてのしかかってくる男どもを深い愛で受け止めて
いるわけでもない。抵抗する素振りをあまり見せないが、なし崩しというふうにも見えない。
せいぜいが「いやです〜ん」程度であって「いやだ!」ではない。冷めているわけでも、諦め
きっているわけでもない。セックスにだらしなかったり虚無的である子の方が、まだ自我があ
ると思えるほどに、情動の反応が極端に少ない。まるでバイオ技術で製造されたダッチワイフ。
彼女の役割は、だから、陰茎を勃起させて近づいてくる男の姿を映しだす鏡なのであり、その
存在をあれこれ語ることにはあまり意味がないわけですね。セックスに挑む際の、男のアホヅ
ラこそが、結局のところ、この映画の本領なのでしょう。ジッと考えてみて下さい。先端がく
びれて段に膨らんだ男根のフォルムの訳のわからなさ。そこだけがピョコンと勃起している姿
の妙な間抜けさ。女陰に挿入したいがために、あの手この手を尽くす作戦行動のいじましさ。
入れたら入れたで、クイクイと腰を反復させる動作の知性の無さ。散々大騒ぎしておきながら、
その結末はピュッと少量の精液を放出するだけという、コストパフォーマンスの低さ(鼻水だ
ってもっと出るぞ)。そういった男のセックスにまつわる、何となく馬鹿馬鹿しいようなみっ
ともない思いについて再考を促す、そんな映画なのです。オナニー話の妙な連帯感で盛り上が
るみたいに、男優さんたちがみんな楽しそうな顔をして出演していたのも、そんな理由からな
のでしょうね。
(上田貴士/本厄/編集)